沿革
創刊~1960年
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町田忠治(のち政界入りし民政党総裁)により
東京市牛込区(現新宿区)新小川町に創立、
11月15日に旬刊『東洋経済新報』(現『週刊東洋経済』)を創刊
創刊の辞
健全なる經濟社會は
健全なる個人の
發逹に待さるへからず。
政府に對しては監督者、
忠告者、苦諫者となり、
實業家に對しては
親切なる忠告者、
着實なる訓戒者、
高識にして迂遠ならさる
先導者とならん。
創業者/町田忠治の『東洋経済新報』創刊の辞より -
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本社を牛込区東五軒町に移転
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単行本の刊行開始(天野為之『経済学綱要』)
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牛込区天神町に新社屋を建設し、移転
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『経済年鑑』(のちの『経済統計年鑑』)創刊
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大阪に関西支社を設置
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旬刊『東洋経済新報』を10月4日号より週刊化
第1次世界大戦後の好景気を背景に、本誌の部数が急増。1918年秋から19年末にかけ印刷部数が1万部の大台に乗ることも。それをうけ当時の三浦銕太郎主幹は念願であった週刊化を決断。原稿の締め切りから発送までの期間が従来よりも2日短縮され、情報の鮮度も増した。
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株式会社に改組。三浦銕太郎主幹が代表取締役に就任
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石橋湛山(後の総理大臣)が主幹となる
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『東洋経済新報』を『週刊東洋経済新報』と改題
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日本橋区(現中央区)本町1丁目に新社屋を新築移転、経済倶楽部設立
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英文月刊誌『The Oriental Economist』創刊
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『会社四季報』創刊
『会社四季報』は同年2月に勃発した2・26事件の直前に企画され、事件の最中に制作され、約3カ月後に創刊。現在でも主軸刊行物のひとつとして不動の地位を確保。同誌で長年培われた企業・財務データの編集ノウハウは、デジタル化時代を迎えデータビジネス事業として更なる飛躍期を迎える。
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名古屋支社設置
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『東洋経済統計月報』創刊
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『現代日本文明史』刊行(創立45周年記念)
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主幹制に代えて社長制を実施。初代社長に石橋湛山就任
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空襲で本社工場が焼失
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秋田県横手町に支局を開設し、編集局の一部と印刷部門を同時に疎開
(翌年1月閉鎖)
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目黒区上大崎長者丸に印刷工場を設置
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『株式ウイークリー』創刊
戦後の株式市場の再開を背景に創刊された株式投資情報誌。有望銘柄の速報を使命としたため市販ではなく会員制を採用。昭和初頭に一時発刊されていた『東洋経済特報』以来の再挑戦だったが会員数は順調に拡大、会員制ビジネスの成功事例となる。現在は、紙の雑誌と並行してWEB版も発行している。
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投資専門誌として、月刊『投資版』(のちの『オール投資』)創刊
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1961年~2000年
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『週刊東洋経済新報』を『週刊東洋経済』と改題
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中央区日本橋本石町1丁目に新社屋を建設移転
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印刷部門の業務を分離、東洋経済印刷(株)を設立
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『石橋湛山全集』(全15巻、のち全16巻)刊行開始
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『地域経済総覧』創刊
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英文四季報『JAPAN COMPANY HANDBOOK』創刊
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「石橋湛山賞」創設(石橋湛山記念財団主催、東洋経済後援)
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『会社四季報未上場会社版』創刊
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『就職四季報』創刊
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『役員四季報』創刊
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「高橋亀吉賞」創設
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月刊『金融ビジネス』創刊
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英ロイター社と業務提携契約書に調印
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「東洋経済賞」創設
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『週刊東洋経済』創刊5000号達成
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創立100周年。記念パーティ開催(ホテルオークラ)
宮沢喜一元首相、豊田章一郎経団連会長、館龍一郎東大名誉教授など政・財・官・言論界の有識者1000余名を招待した記念パーティーを実施。『戦後日本産業史』(全1巻)、『日本会社史総覧』(全3巻)の刊行、「東洋経済文庫」の創設と寄贈、「国際シンポジウム」の実施、『東洋経済新報社百年史』の編纂など記念事業も多彩に。
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『東洋経済新報社百年史』刊行
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「環境報告書賞」創設
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『会社四季報CD-ROM』市販開始
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『週刊東洋経済』の大判化
本誌をA4変型へ大判化するとともに編集内容も大幅刷新。読みやすさの追求、店頭でのアピール力、広告クライアントへの訴求力などを考慮し誌面革新を実施、販売面でも駅売店ルートの開拓、書店向け配本部数の大幅積み上げ、予約購読者の大量獲得など大きな成果を得た。その後の販売部数10万部という大台乗せの起爆剤に。
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『会社四季報』ワイド版創刊
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『一橋ビジネスレビュー』創刊
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2001年~
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S&Pとの業務提携
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『Think!』創刊
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『会社四季報プロ500』創刊
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「会社四季報 業界地図」創刊
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「東洋経済オンライン」創刊
紙面だけでなく、ネット上での情報発信を総合的に展開するため、投資情報に限らず、ビジネス、経済情報、就職情報など、ビジネスパーソンのためのビジネスニュースサイトとしてオープン。その後、2度にわたるリニューアルを経て、大きく発展する基点となる。
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「サステナビリティ報告書賞」創設
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「CSR企業総覧」創刊
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創立110周年
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「会社四季報 全70年DVD 1936-2006」発売
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「ダイバーシティ経営大賞」創設
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『トレンディポ』サービス開始
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『会社四季報』iPhone/iPod touch用アプリケーション発売
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セミナー事業開始
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「デジタルコンテンツ・ライブラリー」販売開始
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電子書籍配信開始
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電子雑誌配信開始
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「会社四季報オンライン」サービス開始
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「就職四季報 中堅・中小企業版」創刊
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電子書籍「週刊東洋経済 eビジネス新書」創刊
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『スーパーマーケット総覧』創刊
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『米国会社四季報』創刊
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『東洋経済デジタルアーカイブズ』サービス開始
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創立120周年シンポジウム開催
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『ESGオンライン』サービス開始
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『会社四季報株アプリ』サービス開始
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教育研修事業を開始
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「東洋経済 education×ICT」サービス開始
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「シキホー!Mine」、「業界地図デジタル」サービス開始
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歴史を彩る人びと
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石橋湛山(いしばし たんざん・1884~1973)
1925(大正14)年から22年にわたり第5代主幹として活躍。
第1次吉田内閣の蔵相として政界に入り、通産相、内閣総理大臣を歴任した。 -
町田忠治(まちだ ちゅうじ・1863~1946)
『東洋経済新報』を創刊し初代主幹。
その後、政界に転じ、農相、商工相などを歴任、民政党最後の総裁となった。 -
天野為之(あまの ためゆき・1861~1938)
東京専門学校(早大の前身)教授のまま第2代主幹となり、
小社の自由主義の基礎を固め、発展の礎を築いた。のち早大学長となる。 -
植松考昭(うえまつ ひさあき・1876~1912)
明治40年代に第3代主幹を務め小社を主宰。
藩閥政治批判、2年兵役制・普通選挙制の実施などの主張を展開した。 -
三浦銕太郎(みうら てつたろう・1874~1972)
大正期14年にわたり第4代主幹として小社を主宰。
満州放棄、小日本主義を提唱した。戦中戦後も健筆を振るった。